ヨシナシブイシ

さかもとさんを目で追うV6ファンの備忘録

2021年3月12日に思うこと

ショックを受容するプロセスの一環として、これを書いています。ので、文脈はちゃめちゃです。

 

今日は、慢性的に不調が続いていたので念のため有休を取って病院に行き、帰りに本屋をぶらぶらしているような日でした。

満足したので電車で帰ろうとスマホを確認した時にメールに気がつき、正直こんな書き方で良いお知らせであったことはなかったので心のどこかで覚悟をしつつ、そのままV6の言葉を読みました。

 

混乱した心と、納得するための答え合わせをする思考とによりぼんやりした頭で、どう形容して良いかわからない状態でしたが、不思議とマイナスな感情は生まれませんでした。

文章から読み取れるのは私が知っているV6らしいV6だったので、彼らの選択ならきっと受け入れられるという確信があったからかもしれません。

 

それでも、どうしてもその場で動画を見るのは怖くて、こんな時にV6のどの曲を聴くのが相応しいかわからず何故かSimon &Garfunkelを聴きながら家路につきました。

落ち着いてから動画を見ると、そこにはやっぱり私の知っているV6がいました。こちらが不安に思いそうなことを事前にフォローしつつ、真剣に、かつちょっと戯けながら伝えてくれる姿、その思いやりが十分に伝わりました。

私の好きなV6が、V6らしく、今までの延長線上として彼らの言葉で語ってくれることだから、もうこれ以上のことはありません。

長い時間をかけてV6が出した結論なら、私はそれを受け止めたいと思っています。

 

もちろん本音をいえば、いつまでもV6を、そのメンバーの歌とダンスを見ていたいです。TLの歌ありパフォーマンスだって見たいしNOIZだって生で聴きたい、アニバコンとワンズコンしか行けていないのは少なすぎる、まだ生まれていないV6の曲たちに出会いたかった。何よりV6が6人でいる姿をずっと見たい。

私はV6担としては坂本担でトニ担だから、トニセンは存続するということで、ネクジェネやTTTにまだ希望があるけれど、カミ担はもっと辛いと思います。言葉もありません。

V6がなくなることは本当に悲しい。それぞれの活躍はこれからも続いて、それを私がたのしんだとしても、V6の代わりにはならない。解散を見据えた上で作り上げたコンサートがあの素晴らしいトニフィフコンだったこと、やっぱり私はV6が好きなんです。

こんなに最新が最高だから、正直解散の気配なんて全然感じていませんでした。

 

でも、後出しジャンケンで考えると、2015年の時点で先輩を見て身の振り方を考えると言っていた剛くんが、ここ数年の流れを見て何も感じないわけないですよね。

大きなきっかけは剛くんの想いだとは思いますが、剛くんの直感的に本質を見抜く力に対してメンバーが信頼を置いているからこその決断だったのだと思います。私も、そんな剛くんだからこそ好きなのです。彼はパフォーマンスも演技も天才です。

彼らがV6は6人と決めているのだから、私にできるのはそれを尊重すること、感情は追いつけなくても理性でそうしたい。

 あまり冷静にTLも見られないけど、それでもファンだけでなく、彼らが今まで関わってきたひとたちから彼らが愛されていることが伝わってきて、悲しいけど嬉しく感じています。

 

2020年、区切りの良いタイミングで解散だったところを、満足なかたちで迎えられなかったから伸ばしてくれたのかな。Full Circleがなかなか出ない理由もそれなのかな。

ありがとう。

 

そして本当に個人的なことを言えば、私は、坂本さんのOsloをきっかけに、自分の中で逃げ続けていた向き合わなければならないことに向き合い始めていたところでした。私自身の人生についても考えていきたいと思います。彼らのおかげで、私の人生も変わっています。

 

アルバムもツアーも全力で楽しみます。

本当の意味で受け入れるまで時間はかかると思いますが、彼らのこれからが楽しみです。

パレスチナ/イスラエル問題について(第二次世界大戦後編)

この記事では、主に第二次世界大戦後を中心に、パレスチナ/イスラエル問題の経緯と現状を説明します。

それぞれの歴史を詳しく知りたい方は下の記事も合わせてご参照ください。

 

asasa-1113.hatenablog.com

 

それではさっそく行きます!

 

 

基本情報

前回の記事で説明したもののうち、特に重要なものだけ超簡単に記載しておきます。

ユダヤ

イスラエルの多くを占める人。歴史的にキリスト教徒による迫害を受けてきた。(ホロコースト等が有名。)

「迫害や差別から逃れるために、ユダヤ人によるユダヤ教国家をつくろう」という運動を「シオニズム」といい、イスラエル建国の大きな動機となっている。

アメリカはイスラエルを支援している。

アラブ人

もともと中東に広く住んでいて、今のイスラエルパレスチナがある地域でもずっと生活していた人。今のパレスチナ人はほぼアラブ人に含まれる。

アラブ諸国パレスチナを支援している。(最近は消極的)

 

簡単な状況

今のイスラエルパレスチナがある地域は、長年イスラム国家により統治されてきた。

しかし、イギリスが、ユダヤ人・アラブ人どちらにも「パレスチナ地域にユダヤ人国家(アラブ人国家)作っていいから、第一次世界大戦の間は協力してね」と約束した。しかし戦後はそれを反故にし、イギリス自身が統治していた。

 

それでは、第二次世界大戦後、現在に至るまで見てみましょう。

 

歴史(第二次世界大戦後から)

ユダヤ人のパレスチナへの流入

迫害が続き、シオニズムが高まる中で、徐々にユダヤ人によるパレスチナへの移住も行われていました。

当初は、アラブ人が住む土地をユダヤ資本の下に買い上げ、そこにユダヤ人が居住するというかたちで進んでいました。

しかしその後、下に挙げたような契機毎に一気にユダヤ人の流入が加速し、事態が変わってきます。

・ロシアにおけるユダヤ人迫害行為(ポグロム)から逃れるため、ロシア系ユダヤ人の大規模な流入

ポーランド中産階級ユダヤ人の流入

ホロコーストから逃れるための流入

当初こそ、アラブ人とユダヤ人は共存していましたが、ユダヤ人による閉鎖的な共同体(キブツ)が拡大するにつれ、徐々に衝突が発生するようになりました。

 

イスラエル建国宣言

イギリスはもともと、イスラム圏に対するキリスト教圏の最前線(アラブ地域にありながら、「ヨーロッパの飛び地」としての機能)として、パレスチナの統治を重視していました。しかし、アラブ人・ユダヤ人双方の対立や反乱に手を焼き、1947年、これ以上の統治は困難と判断し委任統治を終了することにしました。

委任統治終了後は、ユダヤ人国家とアラブ人国家が成立することになりました。

パレスチナを「神に与えられた土地」とみなして特別視するユダヤ人のシオニズムと、「ヨーロッパの飛び地」としての機能を継続したい&ヨーロッパ地域内に建国されるのは都合が悪いというヨーロッパ各国の思惑が合わさり、パレスチナの地での建国が決まりました。

当然、そこにもともと居住していたアラブ人からは反対の声があがりました。アラブ人の土地として暮らしていく中でユダヤ人も受け入れていくならともかく、いきなりユダヤ教国家が建国するとなったら話は違います。

しかし、最終的に、国連によるパレスチナ分割案(パレスチナユダヤ人とアラブ人それぞれの国に分ける案)が採択されました。

この分割案は、ユダヤ人に有利なものでした。当時、この地域の人口の三割しかいないユダヤ人に、56%の土地が与えられることになったのです。

アラブ諸国は反対しましたが、アメリカとシオニスト団体の買収と圧力により、多くの国が賛成票を投じました。(ちなみに、当のイギリスは棄権しています。)

そして、1948年、イギリスの委任統治が終了するその日に、アラブの承認を得ないまま、イスラエルは建国宣言を行いました。

 

中東戦争

不平等な分割案を基にしたイスラエル建国を不服としたアラブ諸国が侵攻し、第一次中東戦争が勃発しました。

 これがパレスチナ難民の始まりと言われています。イスラエルにとっての建国記念日は、パレスチナ人にとっての大破局(ナクバ)です。詳しくは次の項目で記載します。

一般的には、このアラブ側からの侵攻により、武力衝突が始まったとされていますが、実際には、イスラエル建国宣言以前から、パレスチナは内紛状態でした。分割案に不満を持っていたアラブ人だけでなく、エルサレムが国際統治とされたことに対してイスラエル側も不満を持っていました。(エルサレムユダヤ教にとってもイスラム教にとっても聖地。詳しくは前の記事を参照。)ユダヤ人居住地域からエルサレムへの進路上にあるパレスチナ人の村を侵攻し、虐殺を行なったりしました。(デイル・ヤースィーン村虐殺事件)

第一次中東戦争では、当初こそアラブ諸国が優勢でした。しかし、これらの国々同士はそれぞれ対立しており、一枚岩ではありませんでした。結果としてイスラエルが勝利し、分割案よりさらに多くの土地、地域全体の75%をイスラエルが支配することになりました。この時の停戦ラインを「グリーンライン」といい、現在の二国間解決の際の指標とされることが多いです。

 

パレスチナ難民の発生

この内紛や戦争に前後して発生したのが、いわゆるパレスチナ難民です。戦火から逃れようとした人たちだけでなく、一時的な避難のつもりで土地を離れた人も多かったのですが、その後ずっと、イスラエル圏内への帰還が叶わない状態となっています。70~80万もの人が、土地を追われることになりました。彼らは、現在のガザ地区ヨルダン川西岸地区周辺諸国へと追いやられました。今では、全世界の難民のうち5人に1人がパレスチナ難民であると言われています。

 

ここで、パレスチナ人が居住している主な地域それぞれの特徴と、現在の状況を見てみます。

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ガザ地区

地中海に面し、エジプトと接した小さな地域です。ここは世界で一番人口密度が高い地域と呼ばれています。現在では、強硬派のハマース(後述)の拠点とされているため、断続的にイスラエル軍による武力行使が行われています。(当然、民間人の被害も甚大)

また、イスラエルによる締め付けが最も厳しい地域でもあるため、満足な経済活動ができないだけでなく、各国による支援物資もイスラエルによって制限され、苦しい生活を強いられています。

ヨルダン川西岸地区

内陸に位置する、比較的広い地域です。ここでは、イスラエルによる分離壁の建設が進められています。この分離壁は、グリーンラインよりも、パレスチナにとって狭く、イスラエルにとって広いラインで建設されています。また、本来ならパレスチナ側にあるはずの水源等の資源も、イスラエル側に取り込むように建設されています。

イスラエル人による入植(後述)も盛んな地域となっています。

国外の難民

レバノンを始め、周辺諸国に難民として居住しているパレスチナ人も多く存在します。難民という立場であるため、それぞれの国での行動や経済活動は制限され、国連による支援も年々減少しています。(もっと細かく見れば、その居住地域や難民となった時期によって、様々な立場に置かれています。)

周辺諸国の政治状況の影響ももろに受けてしまうため、難民キャンプはたびたび戦場となり、数万規模の犠牲者が発生しています。

ガザ地区ヨルダン川西岸地区の住民は、苦しいながらもまだ「パレスチナの領地」で生活していると言え、「パレスチナ/イスラエル問題」において主体として取り上げられますが、これら難民はさらに立場が複雑なため、苦しい現状に置かれていると言えます。

イスラエル国

もともとは、地域全体にアラブ人が居住していたため、難民となることを逃れ、イスラエル国内に居住し続けるパレスチナ人もいます。このようなイスラエル国内のムスリムとしてのパレスチナ人やキリスト教徒は、イスラエル人口の二割にも上ります。

しかし、二級国民と位置づけられており、世界中からイスラエルに移住してきたユダヤ人よりも下の立場に置かれ、制度的にも差別的な扱いを受けています。

 

第二~第四中東戦争

四度にわたる中東戦争により、パレスチナ人はどんどん苦しい状況に置かれました。イスラエルの軍政下におかれ、家屋や財を没収されてユダヤ人入植者に割り当てられたり、移動が厳しく制限されたりしました。また、さらに難民も増えました。

特に、第三次中東戦争では、イスラエルゴラン高原等の広範囲を支配することになりました。難民も多数発生し、パレスチナ人のものと定められている「ガザ地区」「ヨルダン川西岸地区」「東エルサレム」もイスラエルに占領されました。これらの地域に対する実効的な支配は今日まで続いています。

 

このころには、イスラエルアメリカとさらに接近し、その後ろ盾をもとに圧倒的に優勢となり、逆にパレスチナの後ろ盾となっていたアラブ諸国は徐々に手を引き始めました。

アメリカ国内でユダヤ・ロビー活動が大きな影響力を持っているだけでなく、イスラエルが中東における軍事大国としての存在感を確立していったことが、アメリカのイスラエル支持に拍車をかけました。

パレスチナ解放機構PLO)の成立

そのような中で、パレスチナ人の意思を示す組織として、パレスチナ解放機構(以下PLO)が結成されました。「パレスチナ人の民族自決権(自分たちのことを自分で決める権利」や「各地に離散させられているパレスチナ人が、パレスチナの地に帰還する権利」等を求めていました。

いくつかの組織から成っていますが、中心となったのは、反イスラエル闘争でパレスチナ人の支持を集めていたファタハでした。ファタハは、イスラエル武力行使に対抗する武装集団として、アラファトとジハードにより組織されました。パレスチナ人からは、英雄的な組織として支持を集めていました。しかしその後、アラファトPLOの議長となり、イスラエルとの衝突によりその拠点を何度か移してからは、強硬的な姿勢が緩和されました。

1974年には、パレスチナ人を代表する組織として国際的に認識されるようになりました。

 

インティファーダ

1987年から、パレスチナ人によるインティファーダが起きました(第一次インティファーダ)。イスラエル軍に対し、パレスチナ民衆が投石や納税拒否等により抗議を行うことを言い、イスラエルはこれに武力で応じました。PLOは、インティファーダをサポートしました。

イスラエル軍の戦車に対し、投石を行うパレスチナ人の少年」という構図は、「差別されてきたユダヤ人の国家であるイスラエルは弱者である」「パレスチナ/イスラエル問題は当事者である両者の間で解決されるべき」という空気になっていた世界に対しショックを与えました。

第一次インティファーダによるパレスチナ人の死者は、子供300人を含む1200人を越え、負傷者は13万人に上るとされています。

この流れに乗り、1988年、PLOパレスチナ独立宣言を行いました。イスラエルと共存し、ガザ地区ヨルダン川西岸地区での独立国家建設を宣言するものでした。

 

湾岸戦争

しかし、その後の湾岸戦争で、世界から非難を浴びていたイランに同調したため、再び国際世論の支持を失ってしまいました。

アメリカへの反発からイスラエルへミサイル攻撃を行ったイランのフセイン大統領は、パレスチナ人にとって歓迎すべき存在でした。しかし、湾岸戦争のきっかけとなったイランのクウェート侵攻は国際的に容認し得ない行為だったため、そんなイランに同調するパレスチナは各国からの支援が打ち切られることになってしまったのです。

結果的に、PLOは財政難に苦しむことになります。

 

オスロ合意

1991年、マドリードで中東和平会議が行われました。アメリカ主導のもと、イスラエルパレスチナの代表が同じテーブルにつきました。しかし、イスラエルパレスチナ代表としてPLOが参加することを拒み、うまくいきませんでした。

拡大するインティファーダと、アメリカ主導の交渉の失敗を受け、秘密裏にノルウェーが動きました。ノルウェーは、ナチスドイツによる迫害という共通項の下、親イスラエルの国でした。とはいえ、中東問題には実際的に関与していなかったため、比較的中立の立場で関わることができました。

当時、イスラエルパレスチナ双方は、互いの存在を認めていなかったため、表立った接触は不可能でした。そこで、ノルウェーの地で秘密裏に交渉が進められました。

 

そして、1993年、オスロ合意(正式名称:暫定自治政府原則の宣言)として結実することになったのです。当時のイスラエルのラビン首相とPLOアラファト議長の間で取り交わされました。

アラファト議長は、前述の通りPLO第一党のファタハの人です。ラビン首相は、中東戦争の指揮を執ったりしていた元軍人でしたが、比較的和平交渉に積極的でした。しかし彼はその後、パレスチナに対する態度に不満を持つイスラエルの右派青年により暗殺されます。

 

オスロ合意の要点として、以下の二点が挙げられます。

 

イスラエルを国家として、PLOパレスチナ自治政府として、互いを承認すること。

イスラエル軍が占領しているガザ地区ヨルダン川西岸地区から段階的に撤退し、5年にわたる自治を認めること。その後のことについては5年のうちに定める。

 

はじめて互いを承認し、和平に向けた意思確認を行ったという点で、画期的な出来事となりました。

これまで、イスラエルPLOの存在を認めていなかったため、交渉する相手はいない、パレスチナ人を主体とするような問題もないという立場でした。またPLO側も、イスラエルを国として認めていませんでした。そのような状態から、初めて、これからに向けて同じテーブルで話をする準備が整ったのです。

しかし、片や国として成立し50年ほどが経ったイスラエル、片や「ゲリラ」と呼ばれた国国を持たないパレスチナ人。この両者が同じテーブルに座った時点で、真に平等な話し合いは難しく、不公平は始まっていました。

ともかく、オスロ合意に基づき、PLOの流れを汲むパレスチナ暫定自治政府が成立し、アラファトが初代元首となりました。

オスロ合意の問題点

現在のパレスチナの状況からわかるように、結局、このオスロプロセスは失敗に終わってしまいました。ここからは、その主な要因と、そこから繋がる現在のパレスチナの状況について記載します。

 

◆要因

イスラエル人による入植を禁じなかった。

パレスチナ民族自決権や国家建設が棚上げされた。(自治以上のものを認めなかった)

・ガザ、ヨルダン川西岸地区以外のパレスチナ難民やイスラエル国内のアラブ人の存在を背景化してしまった。

パレスチナ内部の分裂を招いた。

 

イスラエル人による入植を禁じなかった。

イスラエルは、パレスチナに割り当てられた土地にもかかわらず、そこの家屋を破壊したりしてパレスチナ人を追い出し、そこに居住する入植活動を繰り返していました。イスラエル軍による統治は段階的に縮小するとしたものの、入植行為を禁止する条項は盛り込まれなかったため、入植行為は一貫して続きました。

 

入植行為を読み解くため、理解しておきたいシオニズム

パレスチナ自治区に対する入植行為は、明確に国際法違反です。にもかかわらず、依然としてイスラエルが入植をやめない思想的な理由が、やはりシオニズムにあります。ここでは、シオニズムについてもう少し詳しく、その二大潮流を見てみます。

 

・ 政治的シオニズム

政治的シオニズムとは、政治的な手段を以て、パレスチナの地にユダヤ国家としてのイスラエルを建設することを掲げており、それに伴うパレスチナへの入植も容認する立場です。

政治的シオニズムの中にも、右派と左派があります。

右派は、パレスチナの地からパレスチナ人を全て排除し(武力行使を厭わない)、純粋なユダヤ国家としてのイスラエルを目指す立場。イスラエル二大政党のうちのリクード党が掲げており、現在のネタニエフ首相もこの立場です。

左派は、武力行使を極力排し、平和的解決を目指している立場です。しかし同時に、現在入植活動により占領している地域はイスラエルのものである、としています。この入植地はもちろん、国際法上ではパレスチナのものです。

二大政党のもう一方である労働党が掲げており、オスロ合意を行った時のラビン首相はこちらです。

いずれにしても、手段が暴力的かそうじゃないかの違いだけで、現在のイスラエル二大政党どちらも、イスラエルのための入植は容認していることになります。

 

イスラエル建国を目指した20世紀初頭のシオニストによるスローガンは「土地なき民に、民なき土地を」でした。土地なき民とはもちろんユダヤ人のことです。民なき土地を、はパレスチナの地を指す言葉ですが、ここまで見てきたように、パレスチナには長い間土着のアラブ人が生活していたため、民なき土地とは言えません。ここに、シオニストによるアラブ人の無視・軽視が見られ、現在の入植を正当化する価値観を見ることもできます。

文化的シオニズム

対して、文化的シオニズムは、必ずしも物理的なパレスチナの地への入植を必要としていません。世界でディアスポラ状態にあるユダヤ文化の精神的な支柱としてパレスチナの地を据えている、言葉の通り文化的な意味合いでのシオニズムとなります。

中には、長い間にわたってディアスポラの状態にあったこと、他の文化と同化せずに客観的な立場をとることができたことこそがユダヤ文化の特徴であり、イスラエルという固定化した国家建設はそのユダヤ文化の破壊である、という立場の人もいます。

超正統派(背高帽子に長いひげの人)の人たちにとっては、暴力で手に入れた土地は国として認められないという立場の人もいます。

 

入植行為の現在

イスラエルによる入植行為は、2020年現在でも行われています。オスロ合意後、入植地は4倍に拡大したと言われています。中には数万人規模で居住している地区もあり、インフラや教育機関も整備された完全な町として機能しています。

入植行為による問題点は、単に土地を奪うという点だけではありません。パレスチナ自治区では経済活動も制限されているため、いっそうパレスチナの自立が難しくなっています。

かつてはパレスチナ人も入植地で働いていましたが、2000年代の初めまでのことでした。それ以降は労働力としても(極少数の例外を除いて)パレスチナ人を必要としない政策に変わっています。

なお、まさに現在、例をみないほどイスラエルに肩入れしてきたトランプ大統領の敗北を受け、「駆け込み入植」現象が起きているとの報道もあります。(トランプ大統領は、長く国際社会から非難されている入植活動を、アメリカ大統領として初めて「正当性のある行為だ」と認めています。)

 

また、これに関連する事項として、分断壁があります。ヨルダン川西岸地区では、自治区を取り囲むように、イスラエルによる分断壁の建設が行われています。しかも、実際の自治区のラインより(パレスチナにとって)狭く、逆に水源等をイスラエル側に取り込むかたちとなっています。さらに、この壁を乗り越えてまで大規模な入植地を建設し続けています。

日本でも話題に上るようになったバンクシーは、分断壁や入植地で積極的にストリートアートの制作を行ったりしています。(「世界一眺めの悪いホテル」等が有名。)



では、オスロ合意の問題点に戻ります。

 

パレスチナ民族自決権や国家建設が棚上げされた。(自治以上のものを認めなかった)

オスロ合意が持っている問題点の二つ目は、問題の先送りです。たしかに、それまで認められていなかったパレスチナの暫定自治政府が成立することになったのは大きな成果でした。しかし、オスロ合意の中で認められた自治は5年間、それ以降については定められていません。

5年経ったのちの最終交渉では、パレスチナ人の帰還等、問題を解決する上での最重要事項について話し合われましたが、決裂してしまいました。

 

ガザ、ヨルダン川西岸地区以外のパレスチナ難民やイスラエル国内のアラブ人の存在を背景化してしまった。

オスロ合意の経緯から、パレスチナ暫定自治政府は、PLOとほぼ重複、同義となっています。しかし、ガザ地区ヨルダン川西岸地区を代表してはいるものの、それ以外の難民等とは直接関わりがありません。「パレスチナ人」総体を代表できるような選挙制度になっていないにもかかわらず、暫定自治政府パレスチナ人の代表と扱われていることにより、難民の人たち等が問題の範囲外に置かれてしまっています。

 

パレスチナ内部の分裂を招いた。

オスロ合意に向けての交渉は秘密裏に行われたため、当然、PLO以外のパレスチナ勢力に不信感を抱かせるきっかけとなりました。

現在パレスチナにおいて勢力を拡大している対イスラエル強硬派ハマースも、暫定自治政府の中心となっていたファタハと対立しています。ハマースは軍事組織であるだけでなく、慈善部門にも力を入れているため、一定の支持を得ているのです。

しかし、ハマースによりガザ地区に作られた学校や病院は、その地下に軍事拠点があるとしてイスラエルによる攻撃の対象となっています。ガザ地区は世界で一番人口密度が高い地域と言われるほどの狭さなので、軍事拠点と一般住民の生活圏が重複せざるを得ない状況にあるとも言えます。イスラエルによるガザ地区攻撃により、子どもを含むパレスチナ民間人は1000人単位で亡くなっています。

現在の自治政府は、ヨルダン川西岸地区を拠点にするファタハが大統領職を、ガザ地区を拠点にするハマースが首相職を有し、事実上分裂状態にあります。

 

イスラエル/パレスチナ問題の現在

以上記載したように、オスロ合意に基づく和平交渉は、残念ながらあまり成果を得ませんでした。

その失敗が明白なりつつあった2000年9月、イスラエルシャロンが、エルサレムにあるイスラム教の聖地に入りました。聖地であり、不正に実効支配している場所でもあるため、明らかにパレスチナ人への挑発行為でした。これを契機に第二次インティファーダが始まり、両者は決裂することになります。

またこの第二次インティファーダにより、パレスチナ内部では武闘派のハマースが力をつけ、前述した分裂の一因となりました。

 

イスラムとテロについて

ちょうど第二次インティファーダから1年経ったころ、9.11が発生したことでテロとの戦いが表面化し、しかもテロ=イスラム、という図式が出来上がりました。そうした流れを利用して、イスラエルは自分たちを非難する人たちを「反ユダヤ主義」と呼び、パレスチナ人の抗議行動・報復行動を「テロ」と呼ぶようになりました。

世界中の人がホロコーストを知っているので、「それは反ユダヤ主義だ」といわれてしまうと、なかなか批判できません。

そしてイスラエルは自身による攻撃を全て、攻撃ではなく報復と呼びます。そういったレッテル貼りを使って周囲からの言論を封じ込め、正当化しています。

「テロ行為」とされるものを安易にイスラム教徒と結びつけるのではなく、それを封じ込めている側の行為にも果たして正当性があるのか、そもそもそれはテロと呼ばれる行為なのか。そういった問い直しも必要だと思います。

 

現在進行形の状況

ここまで見ればわかるように、パレスチナ/イスラエル問題は単なる宗教問題ではなく、むしろ政治的要因・経済的要因が大きいと言えることがわかると思います。そして、この問題は今もなお続いています。

わかりやすいところで言えば、トランプ大統領によるイスラエル国内のアメリカ大使館のエルサレムへの移転が挙げられます。ここまで読んだ人はピンとくるかもしれませんが、エルサレムは、本来国際統治とされるべきところであるにも関わらず、イスラエルが実効支配しています。大使館は国の首都に置かれるものなので、この支配が不当だと見なす世界各国は、国際的に首都と認められているテレアビブに大使館をおいています。しかし、トランプ大統領アメリカ大使館をエルサレムに置くとしたということは、イスラエルによる不当占拠をアメリカが容認しているということと同義になります。(トランプ大統領のブレーンの娘婿はユダヤ人であり、娘自身もユダヤ教に改宗していることは無関係ではないでしょう。)

この辺りの力関係も、今回のトランプ大統領の敗北により変わってくるでしょう。まさに現在進行形の問題なのです。

 

日本にとってもまた、無関係ではありません。第二次世界大戦後の日本は、(中東関係では一部独自路線もあるものの)基本的にアメリカに同調する姿勢をとってきました。そのため、世界137の国連加盟国がパレスチナを国として承認していますが、日本は国として認めていません。

また、2019年にはイスラエルとの武器共同開発に向け覚書を交わしています。イスラエルは世界屈指の武器開発国ですが、この最新鋭の武器はもちろん、ガザ地区等に使用されています。

 

最後に

以上、ブログとしてはかなり長くなりましたが、いったんここで終わりにします。

どのような歴史があり、その中でオスロ合意はどのような位置づけで、そしてパレスチナ/イスラエルの現状がどうなっているか、少しでも知っていただけたら嬉しいです。これらの背景を知ったうえで観劇することで、きっと舞台の深みも増すと思います。

私自身、この問題に少なからず関心を持っていたものの、今回ブログを書くにあたっていろいろ調べたことで、とても勉強になりました。

なによりもまず、この問題は現在も続いているものなので、「舞台で描かれたおはなし」で終わってしまってはだめだなぁと思います。


そして、現在の新型コロナウイルスの拡大とそれに伴う緊急事態宣言の中で、坂本さんをはじめとした関係者の方々は、舞台を開演するということに対して通常以上に奔走されていると思います。

私たちは待つことしかできませんが、文化を止めることなく、無事何事もなく千穐楽を迎えられたらと祈るばかりです。

 

 

参考文献

「まんが パレスチナ問題」山井教雄著 2005年1月(講談社現代新書

「続 まんが パレスチナ問題」山井教雄著 2015年8月(講談社現代新書

(↑この2冊はイラスト中心でさっと読めるので、入門としておすすめです)

 

「世界史の中のパレスチナ問題」臼杵陽著 2013年1月(講談社現代新書

(↑幅広い側面からより詳しく知るのにおすすめです)

 

パレスチナ/イスラエル論」早尾貴紀著 2020年3月(有志舎)

ユダヤイスラエルのあいだ 民族/国民のアポリア早尾貴紀著 2000年3月(青土社

パレスチナとは何か」エドワード・W・サイード著 2005年8月(岩波現代文庫

イスラエル 兵役拒否者からの手紙」ペレツ・キドロン著 2003年1月(日本放送出版協会

オスロ合意から20年 パレスチナ/イスラエルの変容と課題」今野泰三、鶴見太郎、武田祥英編 NIHUイスラーム地域研究東京大学拠点中東パレスチナ研究班 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/tokyo-ias/nihu/publications/mers09/mers09_fulltext.pdf

(↑オスロ合意の問題点についての論文集です。公開されています)

 

「ハイファに戻って/太陽の男たち」ガッサーン・カナファーニー著 1978年5月(河出書房新社

(↑第一次中東戦争の際にパレスチナを追われた著者による小説です。より生々しく理解することができると思います。なお、この著者は36歳の時に姪と共に爆殺されています)

 

 

参考サイト

世界史の窓 各関連ページ

https://www.y-history.net/

パレスチナ/イスラエル問題について(第二次世界大戦まで編)

先日、舞台「Oslo」によせて、簡単にパレスチナ/イスラエル問題についてまとめました。

 

asasa-1113.hatenablog.com

 

今回は改めて情報を整理しなおし、より誤解が少なくなるよう書きなおしました。ちょっと長くなってしまったので、第二次世界大戦以前・以後で二つに分けます。

直近の経緯や現状のみ知りたい方は「第二次世界大戦以後」の記事から、それぞれの歴史や背景をきちんと知りたい方は「第二次世界大戦以前(この記事)」「以後」の記事を合わせて読んでいただけたらと思います。

今回は、パレスチナ難民を支援する活動を行っている知人にも内容を確認してもらったので、大きな誤りはないと思います…。

 

パレスチナ/イスラエル問題を知る上での前知識

 

この問題に出てくる基本的な要素を、「宗教」と「民族」と「国家・組織」に分けて考えてみます。入り組んでいるうえ、どの立場に立つかによって定義や条件が変わるのでわかりにくいかもしれませんが、とりあえずなんとなく把握してもらえればと思います。

 

宗教

登場する主な宗教は、「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」です。これら3宗教は、預言者アブラハムという同じ源流を持ち、同じ唯一神を信仰しているため、「アブラハムの宗教」とまとめられたりします。

神とは唯一の存在。神から啓示を受けた者が語る言葉がそれぞれの「宗教」の源となっています。イスラム教にはアブラハムはもちろん、イエス預言者として登場します。

 

ユダヤ教

3つの宗教の中でもっとも古いです。

唯一神の呼び方は「ヤハウェ

聖典はタナハ(キリスト教における旧約聖書。アダムとイブの話とかノアの箱舟の話とかが有名)。

後述する歴史的な要因によって、ユダヤ民族を神から選ばれた民族とみなし、世界が終わる最後の審判の時には、ユダヤ人だけが救われるという選民思想が特徴的です。

パレスチナ/イスラエル問題において重要な要素としては、「カナンの地」という概念があります。カナンの地は、神からユダヤ人に与えられた土地とされています。そしてそれが現在のパレスチナにあたるのです。

 

 キリスト教

ユダヤ教から派生しました。

唯一神は「父なる神」「子なるイエス」「聖霊」の三要素からなるという三位一体説をとっています。

聖典旧約聖書新約聖書ですが、イエスについて記されている新約聖書をより重視します。

神の下では全ての人が平等であり、全人類への愛、すなわちアガペーを説いています。ユダヤ教ユダヤ人と密接に結びついた民族宗教だったのに対し、キリスト教は積極的に布教活動を進め、「世界宗教」を目指していました。

また、キリスト教はイエスユダヤ教を批判するかたちで生まれ、さらにそのイエスを処刑した人たちもユダヤ人であった(ということにされている、実際にはローマ帝国)ことが、キリスト教社会においてユダヤ人を迫害する宗教的後ろ盾になりました。

イスラム

ユダヤ教キリスト教から派生しました。

唯一神の呼び方は「アッラー

聖典クルアーン(昔でいうコーラン)。

預言者ムハンマド唯一神アッラーより授かったというクルアーンを重視し、偶像崇拝の禁止や礼拝、断食、貧しい人たちへの積極的な喜捨等の戒律を守ることで、信仰を表します。イスラム教信者をムスリムといいます。

中東地域だけでなく、インドネシアを始めとしたオセアニア地域等、イスラム教国は世界中にありますが、先進国は西洋式(≒キリスト教的)文化が根付いているところが多いので、しばしば文化的な摩擦が生じます。

 

聖地エルサレム

そして、現在はイスラエル支配下にある「エルサレム」という都市は、3宗教共通の聖地となっています。

 

ユダヤ教:神から授けられた「カナンの地」にある。また、ユダヤ人による神殿が、ローマ帝国により破壊された際の遺構である「嘆きの壁」がある。

キリスト教イエス・キリストが原罪を背負って磔にされた「ゴルゴダの丘」がある。

イスラム教:預言者ムハンマドが、クルアーンを授かるためにエルサレムから昇天した(アル・アクサー・モスク、ウマル・モスク)。メッカ・メディナにこのエルサレムを加えた3個所の聖地を巡礼することが戒律となっている。

 

エルサレムのうち東側の地区はパレスチナのものと定められていますが、現在、その全域はイスラエルに支配されています。

 

民族

登場する民族は、主に「ユダヤ人」と「アラブ人」です。(厳密に言えば、血族・肉体的なつながりと、文化的なつながりは別物なので、「民族」と括ってしまうのは乱暴ですが、わかりやすくするためにあえてまとめて書きます。)

 

ユダヤ

ユダヤ人の定義は、どの立場で見るかによって様々です。ここでは、イスラエルで定められている、大きく分けて二つの定義を取り上げます。

ユダヤ人を母親に持っていること

つまりユダヤ人の子供はユダヤ人、ということです。一般的に、ユダヤ人=ユダヤ教徒、というイメージがあるかと思いますが、必ずしもそうではありません。特に現代では、ユダヤ教徒と自認していないユダヤ人も多くいますし、むしろ無神論者と公言する人もいたりします。

ユダヤ教に改宗した人

もともとユダヤ人でなくても、正式にユダヤ教徒に改宗すれば、ユダヤ人と見なされます。こちらは宗教的な定義となります。なので、日本人として育った日本国籍だけど改宗したのでユダヤ人でもある、ということもあり得ます。

これら二つの定義により「ユダヤ人」と見なされた人は、世界中どこに住んでいても、いつでもイスラエルに住んでイスラエル国籍を持つことができます。

・アラブ人

こちらについても定義が難しいところがありますが、基本的には、アラビア語を話し、主にイスラム教を信仰する、中東地域に住む人たちです。

有名な国でいうと、エジプト、サウジアラビア、シリア、イラク、イラン、アラブ首長国連邦等にまたがっています。旧オスマン帝国支配下と重複するところも大きいです。

先ほどのユダヤ人概念と合わせて、ややこしいですが「アラブ系ユダヤ人(アラビア語を話し、アラブ諸国に住んでいるが、ユダヤ教信者なのでユダヤ人)」という人もいたりします。

パレスチナの地に住むアラブ人のことを、他のアラブ人と区別して「パレスチナ人」と呼びます。実際、これだけ広範な地域にまたがる民族なので、文化的にそれぞれ異なる部分も大いにあります。

 

国家・政府

登場する国家・政府主体は、主に「イスラエル」「パレスチナ」「アメリカ」「ヨーロッパ諸国」「アラブ諸国」の4つです。

 

イスラエル

長い間様々な国(主にヨーロッパ文化圏)で迫害されてきたユダヤ人が、よりどころとなる国家を求めて、第二次世界大戦後に、今のパレスチナの地に建国した新しい国です。この運動をシオニズムといいます。こちらについても後述します。

ただし、国民全員がユダヤ教徒ユダヤ人であるわけではありません。もともとパレスチナ人が住んでいた土地に建国したので、現在のイスラエル国内には、ムスリムであるパレスチナ人やキリスト教徒も20%ほどいます。

 

パレスチナ

一般的には、パレスチナ人が済む「ガザ地区」「ヨルダン川西岸地区」を指します。政治的な主体は、パレスチナ人によって選出されたパレスチナ自治政府です。なお、国連ではパレスチナを「オブザーバー国家」と位置づけ、「国」として扱っていますが、日本はこれを承認していないため、「自治政府」と呼称しています。

パレスチナ人はこの地域全域で暮らしていましたが、イスラエルの建国と中東戦争により、この2地区に限定的に居住せざるをえない状況におかれています。

また、パレスチナ人はこれら2地区以外にも、「中東戦争やそれに伴う混乱により、周辺アラブ諸国に逃れざるを得なかった難民の人たち」「イスラエル建国後も、イスラエル国内に住み続け、イスラエル国籍を持つ人たち」等、その住む場所により様々な立場におかれています。詳細については、後ほど改めて説明します。

 

アメリ

イスラエルを支援しています。ユダヤ人はアメリカ経済・政界にも大きな影響力を持っています。 

国内に600万人以上のユダヤ人が住んでいます。

 

アラブ諸国

同じアラブ人であるパレスチナを支援しています。ただ近年は、独自にイスラエルと国交正常化している国も出てきており、一枚岩ではありません。

 

パレスチナ」という言葉は、現在の「ガザ地区ヨルダン川西岸地区」のことを指していたり、本来パレスチナ人が居住していた地域全体のことを指していたり、自治政府のことを指していたりします。

また一口に「イスラエル」と言っても、シオニズムの色彩が強い人たちだけでなく、親がユダヤ人だからユダヤ人だけどあんまり宗教に関心がない、という今どきの若者や、ユダヤ教徒ですらなく、ただイスラエル国籍を持つだけのイスラエル人等、様々な人がいます。

 

歴史(第二次世界大戦まで)

 まずはユダヤ教の成立について簡単にまとめます。歴史的には事実でないとされるところが多いですが、旧約聖書に記載され、ユダヤ教徒の間で一般的に共通認識となっている流れを書きます。

 

出エジプト 

ヘブライ人(後のユダヤ人)は、現在のパレスチナ地域に居住していました。しかし飢饉に見舞われ、豊饒な土地であったエジプトに移住します。(今でこそ砂漠なイメージが強いですが、当時は豊かな穀倉地帯でした。)

しかし、エジプト王から迫害されるようになり、奴隷として扱われるようになりました。そんなイスラエル人を、モーセが率い、パレスチナの地に帰還させました。この時のエピソードがあの有名な「海を割るモーセ」です。

モーセはその後、ヤハウェから、ユダヤ教の戒律である「十戒」を授けられました。このように、神の言葉を聴き、それを人々に伝える人を「預言者」といいます。

また、この時、現在のパレスチナ地域であるカナンの地は、神がアブラハムの子孫(=ユダヤ教的にはユダヤ人のこと)に与えるとされました。

 

バビロン捕囚

ユダヤ人は、カナンの地に国を構えましたが、新バビロニア王国に敗れると、今度はバビロンに移住させられ、労働に従事しました。

この50年ほどに渡る「バビロン捕囚」は、ユダヤ人の民族的なアイデンティティに大きな影響を与えました。過酷な環境の中で、律法を軸としたユダヤ人同士の宗教的な繋がりは強まり、彼らは約束の地カナンへの思いを強固にしました。また、このバビロン捕囚の間に、旧約聖書が成立しました。

ただ、「出エジプト」「バビロン捕囚」いずれも、ユダヤ教聖典である旧約聖書に依拠するものなので、特に「バビロン捕囚」については、強制連行・強制労働というより大規模な移住程度だったとの見方もあります。実際、バビロン捕囚が終わった後も、バビロニアに住み続けたユダヤ人もいました。しかし、これらの経験は、ユダヤ人の民族意識に深く関わり、選民意識の根源になっていることは事実であり、重要な要素となっています。

 

ローマ帝国による支配

バビロン捕囚から解放された後、ユダヤ人は再びカナンの地で暮らしていましたが、やがてローマ帝国により支配され、2世紀半ばごろには離散したとされています。一部はパレスチナの地に留まって同化していきましたが、多くのユダヤ人は、ヨーロッパからアフリカまで、広い地域を放浪しました。このような放浪状態を「ディアスポラ」といいます。

 

パレスチナ地域支配の変遷

ローマ帝国により支配されたパレスチナは、上述のように3つの宗教の聖地であり、また東西世界の交通の要衝でもあったので、たびたび支配体制が変わりました。ローマ帝国のあとはイスラム帝国により支配され、キリスト教徒による十字軍派遣のあとはエルサレム王国となり、その後は主にエジプト王朝により支配されました。そして、パレスチナ/イスラエル問題にいたる直前までは、オスマン帝国により支配されていました。

いずれにせよ、歴史的に主にアラブ人が住んでいた地域となっています。

 

イスラム国家におけるユダヤ教の扱い

オスマン帝国をはじめ、歴史上パレスチナを長く領有してきたイスラム国家の多くは、キリスト教ユダヤ教に対して寛容でした。実際、下記のような特徴が見られます。

 

・税を納めれば信教の自由(=ユダヤ教の信仰)や自治が認められた。

・3宗教の聖地であるエルサレムは、イスラム国家支配下にある時代にはどの教徒でも巡礼できた。(独占しなかった)

ユダヤ教徒キリスト教徒は、イスラム教徒と同じ起源を持つ「啓典の民」として保護された側面もある。

イスラム教の聖典クルアーン」において、ユダヤモーセは、ムハンマドに次ぐ偉大な預言者とされている。

 

このような状態だったため、ユダヤ教徒キリスト教徒であるアラブ人も多く存在していました。

 

逆に、ユダヤ教を長い間苛烈に差別してきたのは、後述するキリスト教国です。

そのため、パレスチナ/イスラエル問題を「イスラム教とユダヤ教の宗教問題」と捉えるのは、あまり適当ではありません。

現在のイスラム教の排他的な色彩は、帝国主義ヨーロッパにより焚きつけられた民族主義に因るところが大きいといえます。

 

ユダヤ人の迫害

各地、主にヨーロッパに離散したユダヤ人は、キリスト教徒による迫害を受けていました。

異教徒というだけでも差別対象であることに加え、キリストを死に追いやったのはユダヤ人であるという宗教的な後ろ盾がありました。

また、キリスト教世界宗教として積極的に各地に布教していこうとする性格があったのに対し、ユダヤ教ユダヤ民族の民族性と深く結びつき、閉鎖的な性格を持っていたため、ユダヤ民族以外には広がりませんでした。(「キリスト教の布教」は、土着の文化・宗教を破壊して行われたという側面は意識しなければならない点ですが。)

 

ここから、ユダヤ教徒迫害のいくつかの契機を見ていきます。

 

ローマ帝国におけるキリスト教国教化

ローマ帝国は、380年から段階的に、キリスト教の国教化を進めました。そして392年に、キリスト教以外の宗教を禁じます。当時、ローマ国内には、キリスト教以外にも、ユダヤ教ミトラ教ギリシア文化を継ぐ多神教等がありましたが、これらは弾圧されていくようになりました。

 

十字軍遠征

1096年、エルサレムキリスト教徒の下に奪還する、という名目の下、十字軍の遠征が行われました。(しかし前述したように、エルサレムは当時イスラム王朝支配下にあるとはいえ、キリスト教徒でも巡礼ができる状態でした。現に、当時のエルサレムを含むパレスチナ地域にはキリスト教徒も居住していました。)

この時、キリスト教徒の間で、イスラム教徒への反感と同時に、ユダヤ教徒への反感も高まりました。イスラム教徒が「外なる敵」だとすれば、ユダヤ教徒はそれらイスラム教徒と内通する「内なる敵」となったのです。このころから断続的に、ヨーロッパ各地でユダヤ人への弾圧も強まり、「儀式殺人」「異端審問」といった大規模な虐殺が行われました。

また、職業選択の自由も制限されていたユダヤ人は、下賤な職業とされていた金貸し業に従事するようになっていました。しかし、それにより経済力が高まると、財産や土地を没収されて追放される…といったことが繰り返されていました。

 

ユダヤ教徒追放令

イベリア半島(現在のスペイン)は、イスラム教国の支配も長い地域でした。前述したように、イスラム教王朝の下では寛容な政策が取られたため、ユダヤ人も経済的に力をつけ、シナゴーグの下信仰を守っていました。

しかし、キリスト教徒のレコンギスタ(国土回復運動)が行われ、キリスト教国が成立するようになると、風向きが変わります。前述した十字軍遠征に伴うユダヤ人への迫害の機運を受け、1492年にユダヤ教徒追放令が出されました。これにより、ユダヤ人はキリスト教への改宗か、国外退去かを迫られました。

生活を続けるためにキリスト教に改宗したユダヤ人は、それでも「マラーノ」と蔑称がつき、差別されました。

一方で、改宗を拒んで国外へ追放されたユダヤ人のうち、東欧方面に移動した人々を「アシュケナジーム」、南イタリアやアフリカ大陸北部のイスラム方面へ移動した人々を「スファラディーム」といい、これらは現在のユダヤ人の大きな潮流となっています。

 

ナチスドイツによる迫害(ホロコースト

これは第二次世界大戦に関連して行われましたが、迫害の歴史としてこちらに記載しておきます。

現代の私たちにとって最も有名な迫害が、ヒトラーを頂点とするナチスによる民族浄化です。ずっと続いてきたユダヤ人に対する蔑視に加え、国民を団結させるために明確な敵を作り出すという目的や、より優れた子孫を残すという優生思想(優れたアーリア人こそがドイツを支配すべきであり、劣等人種ユダヤ人は殲滅しなければならない)も合わさり、大規模な迫害が起こりました。

まず、ユダヤ人は隔離居住区ゲットーに収容されました。ゲットーはもともと、中世から存在したユダヤ人隔離地域のことです。

その後、悪名高い強制収容所に収容されるようになります。強制収容所では、労働力にならないと判断された老人や女性、幼い子供は到着時点で殺され、生き残った者も強制労働に従事させられました。人間としての尊厳を根本から破壊し、まさに民族の殲滅を目的として行われました。

 

迫害の歴史が生んだシオニズム

このように、キリスト教によるユダヤ人の迫害は、1000年以上にわたり続いてきました。迫害と流浪の歴史の中で、ユダヤ人は「このような悲惨な目に合っていても、最後の審判ではユダヤ人が救われる」という選民意識、そして「ユダヤ教国家を持たないがためにこのような状況に置かれている」という意識を高めていきました。

そのような中で、ユダヤ人によるユダヤ教国家を約束の地イスラエルに建国しようという「シオニズム」がうまれました。シオニズムを掲げる人を「シオニスト」といいます。

シオニズムの詳しい潮流については後述します。

 

イギリスの三枚舌外交

少し時間は戻って、第一次世界大戦後の話です。パレスチナを領有していたオスマン帝国は亡国の危機から主権を回復していく中で、パレスチナを手放すことになります。替わって委任統治を行ったのがイギリスです。このイギリスによる三枚舌外交が、今日の混乱の大きな要因の一つとなっています。

 

簡単に言えば、アラブ人、ユダヤ人、フランス&ロシアそれぞれにいい顔をした結果、泥沼になってしまいました。

 

1915年 フセイン・マクマホン協定

まだオスマン帝国支配下にあったアラブ人に対して、アラブ人居住地の独立支持を約束しました。それまでは、イスラム教という宗教的な繋がりの下、民族間での大きな軋轢はありませんでした。また、異教徒であっても一定の自治を認められたミッレト制が敷かれていました。しかしイギリスは、それぞれの民族意識を煽って反乱誘発し、オスマン帝国の弱体化を目論見ました。

 

1916年 サイクス・ピコ協定

フランス・ロシアとの間で、オスマン帝国の領地を山分けする秘密協定を結びました。(その後、ケマル・アタトゥルクによるトルコ共和国建国により、この計画は頓挫します。)この協定の中では、パレスチナは国際統治するとしていました。この時点で、アラブ人をこの地で独立させる気はなかったことになります。

 

1917年 バルフォア宣言

ユダヤ人資産家ロスチャイルドに対して、パレスチナの地にユダヤ人居住地を建設することを約束しました。ユダヤ人の豊富な資産を引き出すことを目的としていたともされていますが、イギリスのユダヤ人に対する複雑な心理的要因もあったようです。この文書の中では、パレスチナに住む非ユダヤ人の権利を侵害しないということが明記されていましたが、現状では反故にされています。

また、いわゆる「中東」地域に自らが支援するユダヤ人国家を築くことによって、そこを足がかりにこの地域への影響力を持ちたいという思惑も有りました。

 

特に三つ目のバルフォア宣言によって、それまで存在しなかった「アラブ人対ユダヤ人」という対立が生まれてくることになります。

 

ユダヤ人と金融

十字軍の項でも軽く触れましたが、ここで軽くユダヤ人と金融のかかわりについても記載します。ユダヤ人は長い間迫害されてきたにもかかわらず、いわゆる資産家や著名な経済人が多いです。一見矛盾しているようですが、理由があります。

キリスト教において、(そしてユダヤ教でもイスラム教でも)、利子により儲けること、つまり高利貸し業は、忌み嫌われていました。そこで、そのような下賤な職業を押し付けられたのが、迫害されていたユダヤ人でした。結果として、社会的地位は低いものの経済力が高い、という相反する状態におかれることになります。

しかしその経済力の高さとロビー活動の熱心さにより、アメリカをはじめ強い影響力を持つことはもちろん、学術・芸術分野でも存在感が強いです。

今回上演される「オスロ」が受賞したトニー賞、つまりはアメリカショービズ界隈でも、ユダヤ系の影響が強いということは、念頭に入れておいた方が良いと思います。

 

以上、基本的な要素と続く歴史的な背景を簡単に説明してみました。

ではここからどのように今日の状況につながっていったのか、次の記事をご参照いただければと思います。

asasa-1113.hatenablog.com

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

次の記事と合わせて、今回情報をまとめるうえで使用した参考文献を載せておきます。

 

「まんが パレスチナ問題」山井教雄著 2005年1月(講談社現代新書

「続 まんが パレスチナ問題」山井教雄著 2015年8月(講談社現代新書

(↑この2冊はイラスト中心でさっと読めるので、入門としておすすめです。Kindle版はセットになっています。)

 

「世界史の中のパレスチナ問題」臼杵陽著 2013年1月(講談社現代新書

(↑幅広い側面からより詳しく知るのにおすすめです)

 

パレスチナ/イスラエル論」早尾貴紀著 2020年3月(有志舎)

ユダヤイスラエルのあいだ 民族/国民のアポリア早尾貴紀著 2000年3月(青土社

パレスチナとは何か」エドワード・W・サイード著 2005年8月(岩波現代文庫

イスラエル 兵役拒否者からの手紙」ペレツ・キドロン著 2003年1月(日本放送出版協会

オスロ合意から20年 パレスチナ/イスラエルの変容と課題」今野泰三、鶴見太郎、武田祥英編 NIHUイスラーム地域研究東京大学拠点中東パレスチナ研究班 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/tokyo-ias/nihu/publications/mers09/mers09_fulltext.pdf

(↑オスロ合意の問題点についての論文集です。公開されています)

 

「ハイファに戻って/太陽の男たち」ガッサーン・カナファーニー著 1978年5月(河出書房新社

(↑第一次中東戦争の際にパレスチナを追われた著者による小説です。より生々しく理解することができると思います。なお、この著者は36歳の時に姪と共に爆殺されています)

 「これが人間か-アウシュビッツは終わらない」プリーモ・レーヴィ著 2017年10月(朝日選書)

 

参考サイト

世界史の窓 各関連ページ

https://www.y-history.net/



舞台「オスロ」によせて パレスチナ/イスラエル問題簡易版

舞台「オスロ」の日本版上演が決まりましたね。坂本さんは、当時互いを認めていなかったイスラエルパレスチナの間を取り持つ秘密交渉を行い、オスロ合意に多大な貢献をしたノルウェー人主人公を演じるとのことです。

 

ただ、このパレスチナ/イスラエル問題、歴史的な要因、政治・経済的な思惑、宗教の違い、帝国主義の遺産等様々な要因が密接につながって泥沼化しているので、あまり良くわからないという人も多いと思います。

それでも、舞台をきっかけにこの問題に触れようと思う方も多いと思いますので、できるだけわかりやすくまとめてみました。といっても、その長い歴史等についても触れないわけにはいかないので、そこそこの分量になってしまいました。

また、単純化するために、複雑な要素を強引に一般化したり、かなり暴論だったりする部分もありますが、どうかご容赦ください。私自身、わかっていないところもたくさんあるので、勉強したうえで、舞台が始まるまでに、参考文献等を合わせて改めて詳細な記事を書きたいと思っています。

【追記】

書きました。ここの記事はかなり曖昧なところもあるので、新しく書いた方を参照していただけたらと思います。

 

asasa-1113.hatenablog.com

 

 

asasa-1113.hatenablog.com

 

 

 

始めに一つお断りです。小さいころから、私の近い親類がパレスチナ難民を支援する活動を行ってきたことから、私にとってパレスチナ問題は身近なものであったと同時に、パレスチナ側を中心にニュースを見てきました。なので、知識的にも感情的にも、パレスチナに偏っている、と言えるかもしれません。私のスタンスを変えるつもりはありませんが、そのことを念頭に置いて見ていただければと思います。

 

 

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V6 For the 25th anniversary 25年という円環

11/1、代々木第一体育館にて、V6の25周年配信ライブが行われました。

そこにあったのは、「コンサートを配信という形で届ける」ものではなく、「配信ライブ」という全く新しい形の映像作品でした。

「勤続25年の男たち」というキャッチフレーズのもと、1995年から25年間300ヵ月走り続けてきたV6が見せてくれたのは、妥協一切なしの攻めのライブでした。デビュー曲もなし、定番シングル曲もなしも、「このセットリスト、この演出、ファンなら気づいてくれるでしょ?」という信頼に裏打ちされた素晴らしいライブです。

記憶が新鮮なうちに、その感想を残しておこうと思います。相変わらず書き方バラバラだしほとんど推敲していないので変な部分もあると思います…。

 

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坂本さんと井ノ原くん

坂本さんと井ノ原くんの関係性が好きです。

V6の中でも、特に先輩後輩感、等身大の男兄弟感が強いコンビだと思います。

 

が、検索してもいまいちまとまった情報がでてこない…!坂長コンビのエピソードや夕ドロのエピソードは割と出てくるのに、結構一緒に遊んでたりエモいエピソードも多いはずの坂イノコンビは出てこない…!ということで、自分用に、好きなエピソードをいろいろまとめてみました。

 

ソースが分かるものは併記していますが、複数ある場合全部は載せきれていません。また、有名だったり個人的に好きだったりするエピソードでも出所不明なものは記載していません。(Yahooジオシティーズ終了に伴って消えてしまったレポがたくさんあったんだろうなと思うと、もう少し早くまとめておけばよかったなぁと後悔しています…。)

 

基本的には一言一句の引用というより概要の記載となっています。できるだけ主観は入れないようにしていますが…。



  • ジュニア時代
  • デビュー後
  • 個人的なコンビ観

 

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