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パレスチナ/イスラエル問題について(第二次世界大戦まで編)

先日、舞台「Oslo」によせて、簡単にパレスチナ/イスラエル問題についてまとめました。

 

asasa-1113.hatenablog.com

 

今回は改めて情報を整理しなおし、より誤解が少なくなるよう書きなおしました。ちょっと長くなってしまったので、第二次世界大戦以前・以後で二つに分けます。

直近の経緯や現状のみ知りたい方は「第二次世界大戦以後」の記事から、それぞれの歴史や背景をきちんと知りたい方は「第二次世界大戦以前(この記事)」「以後」の記事を合わせて読んでいただけたらと思います。

今回は、パレスチナ難民を支援する活動を行っている知人にも内容を確認してもらったので、大きな誤りはないと思います…。

 

パレスチナ/イスラエル問題を知る上での前知識

 

この問題に出てくる基本的な要素を、「宗教」と「民族」と「国家・組織」に分けて考えてみます。入り組んでいるうえ、どの立場に立つかによって定義や条件が変わるのでわかりにくいかもしれませんが、とりあえずなんとなく把握してもらえればと思います。

 

宗教

登場する主な宗教は、「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」です。これら3宗教は、預言者アブラハムという同じ源流を持ち、同じ唯一神を信仰しているため、「アブラハムの宗教」とまとめられたりします。

神とは唯一の存在。神から啓示を受けた者が語る言葉がそれぞれの「宗教」の源となっています。イスラム教にはアブラハムはもちろん、イエス預言者として登場します。

 

ユダヤ教

3つの宗教の中でもっとも古いです。

唯一神の呼び方は「ヤハウェ

聖典はタナハ(キリスト教における旧約聖書。アダムとイブの話とかノアの箱舟の話とかが有名)。

後述する歴史的な要因によって、ユダヤ民族を神から選ばれた民族とみなし、世界が終わる最後の審判の時には、ユダヤ人だけが救われるという選民思想が特徴的です。

パレスチナ/イスラエル問題において重要な要素としては、「カナンの地」という概念があります。カナンの地は、神からユダヤ人に与えられた土地とされています。そしてそれが現在のパレスチナにあたるのです。

 

 キリスト教

ユダヤ教から派生しました。

唯一神は「父なる神」「子なるイエス」「聖霊」の三要素からなるという三位一体説をとっています。

聖典旧約聖書新約聖書ですが、イエスについて記されている新約聖書をより重視します。

神の下では全ての人が平等であり、全人類への愛、すなわちアガペーを説いています。ユダヤ教ユダヤ人と密接に結びついた民族宗教だったのに対し、キリスト教は積極的に布教活動を進め、「世界宗教」を目指していました。

また、キリスト教はイエスユダヤ教を批判するかたちで生まれ、さらにそのイエスを処刑した人たちもユダヤ人であった(ということにされている、実際にはローマ帝国)ことが、キリスト教社会においてユダヤ人を迫害する宗教的後ろ盾になりました。

イスラム

ユダヤ教キリスト教から派生しました。

唯一神の呼び方は「アッラー

聖典クルアーン(昔でいうコーラン)。

預言者ムハンマド唯一神アッラーより授かったというクルアーンを重視し、偶像崇拝の禁止や礼拝、断食、貧しい人たちへの積極的な喜捨等の戒律を守ることで、信仰を表します。イスラム教信者をムスリムといいます。

中東地域だけでなく、インドネシアを始めとしたオセアニア地域等、イスラム教国は世界中にありますが、先進国は西洋式(≒キリスト教的)文化が根付いているところが多いので、しばしば文化的な摩擦が生じます。

 

聖地エルサレム

そして、現在はイスラエル支配下にある「エルサレム」という都市は、3宗教共通の聖地となっています。

 

ユダヤ教:神から授けられた「カナンの地」にある。また、ユダヤ人による神殿が、ローマ帝国により破壊された際の遺構である「嘆きの壁」がある。

キリスト教イエス・キリストが原罪を背負って磔にされた「ゴルゴダの丘」がある。

イスラム教:預言者ムハンマドが、クルアーンを授かるためにエルサレムから昇天した(アル・アクサー・モスク、ウマル・モスク)。メッカ・メディナにこのエルサレムを加えた3個所の聖地を巡礼することが戒律となっている。

 

エルサレムのうち東側の地区はパレスチナのものと定められていますが、現在、その全域はイスラエルに支配されています。

 

民族

登場する民族は、主に「ユダヤ人」と「アラブ人」です。(厳密に言えば、血族・肉体的なつながりと、文化的なつながりは別物なので、「民族」と括ってしまうのは乱暴ですが、わかりやすくするためにあえてまとめて書きます。)

 

ユダヤ

ユダヤ人の定義は、どの立場で見るかによって様々です。ここでは、イスラエルで定められている、大きく分けて二つの定義を取り上げます。

ユダヤ人を母親に持っていること

つまりユダヤ人の子供はユダヤ人、ということです。一般的に、ユダヤ人=ユダヤ教徒、というイメージがあるかと思いますが、必ずしもそうではありません。特に現代では、ユダヤ教徒と自認していないユダヤ人も多くいますし、むしろ無神論者と公言する人もいたりします。

ユダヤ教に改宗した人

もともとユダヤ人でなくても、正式にユダヤ教徒に改宗すれば、ユダヤ人と見なされます。こちらは宗教的な定義となります。なので、日本人として育った日本国籍だけど改宗したのでユダヤ人でもある、ということもあり得ます。

これら二つの定義により「ユダヤ人」と見なされた人は、世界中どこに住んでいても、いつでもイスラエルに住んでイスラエル国籍を持つことができます。

・アラブ人

こちらについても定義が難しいところがありますが、基本的には、アラビア語を話し、主にイスラム教を信仰する、中東地域に住む人たちです。

有名な国でいうと、エジプト、サウジアラビア、シリア、イラク、イラン、アラブ首長国連邦等にまたがっています。旧オスマン帝国支配下と重複するところも大きいです。

先ほどのユダヤ人概念と合わせて、ややこしいですが「アラブ系ユダヤ人(アラビア語を話し、アラブ諸国に住んでいるが、ユダヤ教信者なのでユダヤ人)」という人もいたりします。

パレスチナの地に住むアラブ人のことを、他のアラブ人と区別して「パレスチナ人」と呼びます。実際、これだけ広範な地域にまたがる民族なので、文化的にそれぞれ異なる部分も大いにあります。

 

国家・政府

登場する国家・政府主体は、主に「イスラエル」「パレスチナ」「アメリカ」「ヨーロッパ諸国」「アラブ諸国」の4つです。

 

イスラエル

長い間様々な国(主にヨーロッパ文化圏)で迫害されてきたユダヤ人が、よりどころとなる国家を求めて、第二次世界大戦後に、今のパレスチナの地に建国した新しい国です。この運動をシオニズムといいます。こちらについても後述します。

ただし、国民全員がユダヤ教徒ユダヤ人であるわけではありません。もともとパレスチナ人が住んでいた土地に建国したので、現在のイスラエル国内には、ムスリムであるパレスチナ人やキリスト教徒も20%ほどいます。

 

パレスチナ

一般的には、パレスチナ人が済む「ガザ地区」「ヨルダン川西岸地区」を指します。政治的な主体は、パレスチナ人によって選出されたパレスチナ自治政府です。なお、国連ではパレスチナを「オブザーバー国家」と位置づけ、「国」として扱っていますが、日本はこれを承認していないため、「自治政府」と呼称しています。

パレスチナ人はこの地域全域で暮らしていましたが、イスラエルの建国と中東戦争により、この2地区に限定的に居住せざるをえない状況におかれています。

また、パレスチナ人はこれら2地区以外にも、「中東戦争やそれに伴う混乱により、周辺アラブ諸国に逃れざるを得なかった難民の人たち」「イスラエル建国後も、イスラエル国内に住み続け、イスラエル国籍を持つ人たち」等、その住む場所により様々な立場におかれています。詳細については、後ほど改めて説明します。

 

アメリ

イスラエルを支援しています。ユダヤ人はアメリカ経済・政界にも大きな影響力を持っています。 

国内に600万人以上のユダヤ人が住んでいます。

 

アラブ諸国

同じアラブ人であるパレスチナを支援しています。ただ近年は、独自にイスラエルと国交正常化している国も出てきており、一枚岩ではありません。

 

パレスチナ」という言葉は、現在の「ガザ地区ヨルダン川西岸地区」のことを指していたり、本来パレスチナ人が居住していた地域全体のことを指していたり、自治政府のことを指していたりします。

また一口に「イスラエル」と言っても、シオニズムの色彩が強い人たちだけでなく、親がユダヤ人だからユダヤ人だけどあんまり宗教に関心がない、という今どきの若者や、ユダヤ教徒ですらなく、ただイスラエル国籍を持つだけのイスラエル人等、様々な人がいます。

 

歴史(第二次世界大戦まで)

 まずはユダヤ教の成立について簡単にまとめます。歴史的には事実でないとされるところが多いですが、旧約聖書に記載され、ユダヤ教徒の間で一般的に共通認識となっている流れを書きます。

 

出エジプト 

ヘブライ人(後のユダヤ人)は、現在のパレスチナ地域に居住していました。しかし飢饉に見舞われ、豊饒な土地であったエジプトに移住します。(今でこそ砂漠なイメージが強いですが、当時は豊かな穀倉地帯でした。)

しかし、エジプト王から迫害されるようになり、奴隷として扱われるようになりました。そんなイスラエル人を、モーセが率い、パレスチナの地に帰還させました。この時のエピソードがあの有名な「海を割るモーセ」です。

モーセはその後、ヤハウェから、ユダヤ教の戒律である「十戒」を授けられました。このように、神の言葉を聴き、それを人々に伝える人を「預言者」といいます。

また、この時、現在のパレスチナ地域であるカナンの地は、神がアブラハムの子孫(=ユダヤ教的にはユダヤ人のこと)に与えるとされました。

 

バビロン捕囚

ユダヤ人は、カナンの地に国を構えましたが、新バビロニア王国に敗れると、今度はバビロンに移住させられ、労働に従事しました。

この50年ほどに渡る「バビロン捕囚」は、ユダヤ人の民族的なアイデンティティに大きな影響を与えました。過酷な環境の中で、律法を軸としたユダヤ人同士の宗教的な繋がりは強まり、彼らは約束の地カナンへの思いを強固にしました。また、このバビロン捕囚の間に、旧約聖書が成立しました。

ただ、「出エジプト」「バビロン捕囚」いずれも、ユダヤ教聖典である旧約聖書に依拠するものなので、特に「バビロン捕囚」については、強制連行・強制労働というより大規模な移住程度だったとの見方もあります。実際、バビロン捕囚が終わった後も、バビロニアに住み続けたユダヤ人もいました。しかし、これらの経験は、ユダヤ人の民族意識に深く関わり、選民意識の根源になっていることは事実であり、重要な要素となっています。

 

ローマ帝国による支配

バビロン捕囚から解放された後、ユダヤ人は再びカナンの地で暮らしていましたが、やがてローマ帝国により支配され、2世紀半ばごろには離散したとされています。一部はパレスチナの地に留まって同化していきましたが、多くのユダヤ人は、ヨーロッパからアフリカまで、広い地域を放浪しました。このような放浪状態を「ディアスポラ」といいます。

 

パレスチナ地域支配の変遷

ローマ帝国により支配されたパレスチナは、上述のように3つの宗教の聖地であり、また東西世界の交通の要衝でもあったので、たびたび支配体制が変わりました。ローマ帝国のあとはイスラム帝国により支配され、キリスト教徒による十字軍派遣のあとはエルサレム王国となり、その後は主にエジプト王朝により支配されました。そして、パレスチナ/イスラエル問題にいたる直前までは、オスマン帝国により支配されていました。

いずれにせよ、歴史的に主にアラブ人が住んでいた地域となっています。

 

イスラム国家におけるユダヤ教の扱い

オスマン帝国をはじめ、歴史上パレスチナを長く領有してきたイスラム国家の多くは、キリスト教ユダヤ教に対して寛容でした。実際、下記のような特徴が見られます。

 

・税を納めれば信教の自由(=ユダヤ教の信仰)や自治が認められた。

・3宗教の聖地であるエルサレムは、イスラム国家支配下にある時代にはどの教徒でも巡礼できた。(独占しなかった)

ユダヤ教徒キリスト教徒は、イスラム教徒と同じ起源を持つ「啓典の民」として保護された側面もある。

イスラム教の聖典クルアーン」において、ユダヤモーセは、ムハンマドに次ぐ偉大な預言者とされている。

 

このような状態だったため、ユダヤ教徒キリスト教徒であるアラブ人も多く存在していました。

 

逆に、ユダヤ教を長い間苛烈に差別してきたのは、後述するキリスト教国です。

そのため、パレスチナ/イスラエル問題を「イスラム教とユダヤ教の宗教問題」と捉えるのは、あまり適当ではありません。

現在のイスラム教の排他的な色彩は、帝国主義ヨーロッパにより焚きつけられた民族主義に因るところが大きいといえます。

 

ユダヤ人の迫害

各地、主にヨーロッパに離散したユダヤ人は、キリスト教徒による迫害を受けていました。

異教徒というだけでも差別対象であることに加え、キリストを死に追いやったのはユダヤ人であるという宗教的な後ろ盾がありました。

また、キリスト教世界宗教として積極的に各地に布教していこうとする性格があったのに対し、ユダヤ教ユダヤ民族の民族性と深く結びつき、閉鎖的な性格を持っていたため、ユダヤ民族以外には広がりませんでした。(「キリスト教の布教」は、土着の文化・宗教を破壊して行われたという側面は意識しなければならない点ですが。)

 

ここから、ユダヤ教徒迫害のいくつかの契機を見ていきます。

 

ローマ帝国におけるキリスト教国教化

ローマ帝国は、380年から段階的に、キリスト教の国教化を進めました。そして392年に、キリスト教以外の宗教を禁じます。当時、ローマ国内には、キリスト教以外にも、ユダヤ教ミトラ教ギリシア文化を継ぐ多神教等がありましたが、これらは弾圧されていくようになりました。

 

十字軍遠征

1096年、エルサレムキリスト教徒の下に奪還する、という名目の下、十字軍の遠征が行われました。(しかし前述したように、エルサレムは当時イスラム王朝支配下にあるとはいえ、キリスト教徒でも巡礼ができる状態でした。現に、当時のエルサレムを含むパレスチナ地域にはキリスト教徒も居住していました。)

この時、キリスト教徒の間で、イスラム教徒への反感と同時に、ユダヤ教徒への反感も高まりました。イスラム教徒が「外なる敵」だとすれば、ユダヤ教徒はそれらイスラム教徒と内通する「内なる敵」となったのです。このころから断続的に、ヨーロッパ各地でユダヤ人への弾圧も強まり、「儀式殺人」「異端審問」といった大規模な虐殺が行われました。

また、職業選択の自由も制限されていたユダヤ人は、下賤な職業とされていた金貸し業に従事するようになっていました。しかし、それにより経済力が高まると、財産や土地を没収されて追放される…といったことが繰り返されていました。

 

ユダヤ教徒追放令

イベリア半島(現在のスペイン)は、イスラム教国の支配も長い地域でした。前述したように、イスラム教王朝の下では寛容な政策が取られたため、ユダヤ人も経済的に力をつけ、シナゴーグの下信仰を守っていました。

しかし、キリスト教徒のレコンギスタ(国土回復運動)が行われ、キリスト教国が成立するようになると、風向きが変わります。前述した十字軍遠征に伴うユダヤ人への迫害の機運を受け、1492年にユダヤ教徒追放令が出されました。これにより、ユダヤ人はキリスト教への改宗か、国外退去かを迫られました。

生活を続けるためにキリスト教に改宗したユダヤ人は、それでも「マラーノ」と蔑称がつき、差別されました。

一方で、改宗を拒んで国外へ追放されたユダヤ人のうち、東欧方面に移動した人々を「アシュケナジーム」、南イタリアやアフリカ大陸北部のイスラム方面へ移動した人々を「スファラディーム」といい、これらは現在のユダヤ人の大きな潮流となっています。

 

ナチスドイツによる迫害(ホロコースト

これは第二次世界大戦に関連して行われましたが、迫害の歴史としてこちらに記載しておきます。

現代の私たちにとって最も有名な迫害が、ヒトラーを頂点とするナチスによる民族浄化です。ずっと続いてきたユダヤ人に対する蔑視に加え、国民を団結させるために明確な敵を作り出すという目的や、より優れた子孫を残すという優生思想(優れたアーリア人こそがドイツを支配すべきであり、劣等人種ユダヤ人は殲滅しなければならない)も合わさり、大規模な迫害が起こりました。

まず、ユダヤ人は隔離居住区ゲットーに収容されました。ゲットーはもともと、中世から存在したユダヤ人隔離地域のことです。

その後、悪名高い強制収容所に収容されるようになります。強制収容所では、労働力にならないと判断された老人や女性、幼い子供は到着時点で殺され、生き残った者も強制労働に従事させられました。人間としての尊厳を根本から破壊し、まさに民族の殲滅を目的として行われました。

 

迫害の歴史が生んだシオニズム

このように、キリスト教によるユダヤ人の迫害は、1000年以上にわたり続いてきました。迫害と流浪の歴史の中で、ユダヤ人は「このような悲惨な目に合っていても、最後の審判ではユダヤ人が救われる」という選民意識、そして「ユダヤ教国家を持たないがためにこのような状況に置かれている」という意識を高めていきました。

そのような中で、ユダヤ人によるユダヤ教国家を約束の地イスラエルに建国しようという「シオニズム」がうまれました。シオニズムを掲げる人を「シオニスト」といいます。

シオニズムの詳しい潮流については後述します。

 

イギリスの三枚舌外交

少し時間は戻って、第一次世界大戦後の話です。パレスチナを領有していたオスマン帝国は亡国の危機から主権を回復していく中で、パレスチナを手放すことになります。替わって委任統治を行ったのがイギリスです。このイギリスによる三枚舌外交が、今日の混乱の大きな要因の一つとなっています。

 

簡単に言えば、アラブ人、ユダヤ人、フランス&ロシアそれぞれにいい顔をした結果、泥沼になってしまいました。

 

1915年 フセイン・マクマホン協定

まだオスマン帝国支配下にあったアラブ人に対して、アラブ人居住地の独立支持を約束しました。それまでは、イスラム教という宗教的な繋がりの下、民族間での大きな軋轢はありませんでした。また、異教徒であっても一定の自治を認められたミッレト制が敷かれていました。しかしイギリスは、それぞれの民族意識を煽って反乱誘発し、オスマン帝国の弱体化を目論見ました。

 

1916年 サイクス・ピコ協定

フランス・ロシアとの間で、オスマン帝国の領地を山分けする秘密協定を結びました。(その後、ケマル・アタトゥルクによるトルコ共和国建国により、この計画は頓挫します。)この協定の中では、パレスチナは国際統治するとしていました。この時点で、アラブ人をこの地で独立させる気はなかったことになります。

 

1917年 バルフォア宣言

ユダヤ人資産家ロスチャイルドに対して、パレスチナの地にユダヤ人居住地を建設することを約束しました。ユダヤ人の豊富な資産を引き出すことを目的としていたともされていますが、イギリスのユダヤ人に対する複雑な心理的要因もあったようです。この文書の中では、パレスチナに住む非ユダヤ人の権利を侵害しないということが明記されていましたが、現状では反故にされています。

また、いわゆる「中東」地域に自らが支援するユダヤ人国家を築くことによって、そこを足がかりにこの地域への影響力を持ちたいという思惑も有りました。

 

特に三つ目のバルフォア宣言によって、それまで存在しなかった「アラブ人対ユダヤ人」という対立が生まれてくることになります。

 

ユダヤ人と金融

十字軍の項でも軽く触れましたが、ここで軽くユダヤ人と金融のかかわりについても記載します。ユダヤ人は長い間迫害されてきたにもかかわらず、いわゆる資産家や著名な経済人が多いです。一見矛盾しているようですが、理由があります。

キリスト教において、(そしてユダヤ教でもイスラム教でも)、利子により儲けること、つまり高利貸し業は、忌み嫌われていました。そこで、そのような下賤な職業を押し付けられたのが、迫害されていたユダヤ人でした。結果として、社会的地位は低いものの経済力が高い、という相反する状態におかれることになります。

しかしその経済力の高さとロビー活動の熱心さにより、アメリカをはじめ強い影響力を持つことはもちろん、学術・芸術分野でも存在感が強いです。

今回上演される「オスロ」が受賞したトニー賞、つまりはアメリカショービズ界隈でも、ユダヤ系の影響が強いということは、念頭に入れておいた方が良いと思います。

 

以上、基本的な要素と続く歴史的な背景を簡単に説明してみました。

ではここからどのように今日の状況につながっていったのか、次の記事をご参照いただければと思います。

asasa-1113.hatenablog.com

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

次の記事と合わせて、今回情報をまとめるうえで使用した参考文献を載せておきます。

 

「まんが パレスチナ問題」山井教雄著 2005年1月(講談社現代新書

「続 まんが パレスチナ問題」山井教雄著 2015年8月(講談社現代新書

(↑この2冊はイラスト中心でさっと読めるので、入門としておすすめです。Kindle版はセットになっています。)

 

「世界史の中のパレスチナ問題」臼杵陽著 2013年1月(講談社現代新書

(↑幅広い側面からより詳しく知るのにおすすめです)

 

パレスチナ/イスラエル論」早尾貴紀著 2020年3月(有志舎)

ユダヤイスラエルのあいだ 民族/国民のアポリア早尾貴紀著 2000年3月(青土社

パレスチナとは何か」エドワード・W・サイード著 2005年8月(岩波現代文庫

イスラエル 兵役拒否者からの手紙」ペレツ・キドロン著 2003年1月(日本放送出版協会

オスロ合意から20年 パレスチナ/イスラエルの変容と課題」今野泰三、鶴見太郎、武田祥英編 NIHUイスラーム地域研究東京大学拠点中東パレスチナ研究班 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/tokyo-ias/nihu/publications/mers09/mers09_fulltext.pdf

(↑オスロ合意の問題点についての論文集です。公開されています)

 

「ハイファに戻って/太陽の男たち」ガッサーン・カナファーニー著 1978年5月(河出書房新社

(↑第一次中東戦争の際にパレスチナを追われた著者による小説です。より生々しく理解することができると思います。なお、この著者は36歳の時に姪と共に爆殺されています)

 「これが人間か-アウシュビッツは終わらない」プリーモ・レーヴィ著 2017年10月(朝日選書)

 

参考サイト

世界史の窓 各関連ページ

https://www.y-history.net/