『will』の歌詞について
私にとってV6の楽曲の中でも好きな曲TOP5に入る『will』について、漠然と「今とこれからの大切さを歌っているのかな」と思っていました。しかし改めてよく聴いてみたところ、なにやら意味深な歌詞のオンパレードだったので少し腰を据えて考えてみました。
長くなったため最初に書くと、この歌は「意識革命ソング」なのではないか、という結論にいたりました。お前そりゃねえだろとかそんなこともわかってなかったのかよとかいろいろあるとは思いますが、だらだら考えた末そうなりました。
ではそう考えた理由について書いて行きますが、これからの考察、というか気になった点の列挙には基本中二から抜け出せない私の願望と過剰な深読みが多分にして含まれます。
また、引用する歌詞は全て、2010年発売のV6のアルバム『READY?』に収録されている『will』(作詞:KOMU、作曲・編曲:Quadraphonic)から引いたものです。『』でくくります。
あと面倒なので常体にします。
英語の謎
まずはタイトルになっている『will』について改めて考える。その用法については、一般的には「未来を表す助動詞(be going toより不確定)」「意志」等が挙げられると思う。他には「遺言」「望む」という意味がある。
次に曲の中でたびたび繰り返される英語詞について考える。
『will never stop it I gotta beat it
will never stop it I gotta feel it』
私はライブDVDで初めて『will』を聴いたので、we never stop it だと思っていた。ところが実際の歌詞には主語がなく、未来・意思を表す助動詞willがついている。この文章の主語については、他の歌詞も考えていきなりHeやSheが出てくることは考えにくいので、おそらく「I」、「You」、「We」、「They」あたりが考えられる。ここで、後半の文章では「I」が用いられているため最も考えられる「I」が除外され、他の場所で『We got new place』という文章が出てくることから、省略されている主語は一応は「We」であると考えたい。
では『it』について。この『it』が何を指しているのか、いまいち断定はできなかった。不特定に自由に入れられる『it』、もしくはbeatと組み合わせての心臓、直後に出てくる『あふれだしそうなEnergy』を感じているという点から『Energy』が考えられるのではないか。
『gotta』について。これは=have toであるため、『~しなければならない』という意味になる。ここで、同じ~しなければならないの意味を持つ「must」との違いを考えると、「must」が自分の意志を持ってしなければならないことに用いるのに対し、「have to」が外的要因によってしなければならないことを表すのに用いられるということだ。つまり、ここで「打たなければならない」「感じなければならない」というのは、自分ではなく環境から要請されているということが分かる。
私にとって一番の謎だった『We got new place』について。新しい場所を得るということを言うなら、未来形か現在系がふさわしいと思うのだが、ここは「新しい場所を得た」と過去形になっている。つまり、基本的に未来志向を持つこの曲において、「新しい場所」というものは過去のものであり、新たなステージへ進む上で捨てていくものになっているのではないだろうか。また、『get』得るを使っているという点で、この「新しい場所」は掴み取ってきたものだということも考慮に入れておきたい。
時代について
次に、これもたびたび出てくる「時代」というキーワードについて考える。
まずは最初に出てくる
『僕ら時代のボーダーレス その瞬間にいるなら
そう My life 全て無駄じゃない』
というフレーズについて。ここでは明確に時代の移行する点にいるということがわかる。また『無駄じゃない』という言葉については、何か労力をかけていることがあり、かつ何か無駄だと感じてしまっているからこそ出てくる言葉ではないだろうか。
また、2番での同じメロディー、bメロ部分の歌詞は
『崩れ行く歴史の音 聞こえたら
次のステージへ行く時だ』
となっている。ここも同じく時代の移行についての歌詞になっているが、『崩れ行く歴史の音』というフレーズに注目したい。一般的に歴史とは積み重ねていくものである。しかしここでは崩れている。崩れるということは壊されていくということであり、価値観等を次の時代に引き継いでいく際の表現であるとは考えにくい。むしろあまり未練のあるものではないように感じられる。
ここで少し思いだしたのは、ジャン=フランソワ・リオタールの「大きな物語」という考え方である。これは、ヘーゲルのいう「歴史」やマルクスの「唯物史観」を批判したもので、簡単に言えばそれまでの近代思想(物質的な発展によって全ての人民が目標に向かってまい進していくことが善であり、常に我々は全体として前進していこうとするものである)を「大きな物語」であると断じ、対する「小さな物語」に考え方を移行しなければならないというものである。
この「大きな物語」の背景には最も高次な精神、絶対精神があるとされていたが、リオタールはその絶対精神を否定し、個々人が意志を持っていかなければならないとした。
ここでもう一度この曲のタイトルを思い出してみると、「意志」という意味も含む『will』である。つまり、ここで言っているのは過去の歴史観、絶対精神から、次のステージである個々の意志「will」へ、ポストモダンへ移行しようということではないだろうか。
何をそんなに必死なんだ
いきなりなんのこっちゃという感じだが、この歌の「僕ら」はやたら必死である。英語部分を省いて見ただけでも
『(略)そう全てを (略)捨てても (略)掴み取る その先の時代を』
『(略)もう恐れたりしない 何かを捨てることさえも』
『(略)限界の果て たどり着く先を』
ともかく、今ある何か捨ててさえもその先に辿り着かなければならないという意志が強く感じられる。
ここからはさらに私の妄想が入り込んでくる。まず、この曲の主語は英語詞の一部以外全て「僕ら」という複数形である。この「僕ら」の範囲は、「今ここ」の「僕」たちのことであると考えられるが、一度少し引いて見る。全体として「何かを捨てても掴み取る」「限界の果て」「壊れそうな鼓動」といったワードからは、たとえ自分の身を捨てても次のステージへ、という意志が読みとれないだろうか。上で話題にした『そう My life 全て無駄じゃない』というフレーズは、この自分のlifeをなげうってでも、という状況でも当てはまるものである。
そうすると、ここでいう「僕ら」というのは、過去から未来へ通した、共同体としての「僕ら」ということもできるのはないだろうか。
この共同体というワードを出した根拠がもう一つある。cメロの『ネガティブなスローガンを』という部分である。スローガンというのはある団体や集合体の指針を示したものである。「ネガティブ」な「スローガン」があるということは、スローガンという団体から切り離せないワードがあり、かつネガティブというイメージはこれまでの時代を表したものとも言えると考えると、このフレーズの前提として共同体としての「僕ら」があるのではないかと考えられるのではないだろうか。
そう考えると、『限界の果て』に『辿り着く』、それを『確かめ』る僕らと言うのは、個々人の僕らをなげうってつないだ、次の世代としての「僕ら」と考えることもできるのではないだろうか。
トニセンとカミセンという二つの世代を有しているV6が歌うということ、『will』には遺言という意味もあるということも、この考えを補強する材料になるかもしれない。
まとめ
さて、ここまでをまとめると
・僕らは外的要因によって何かに迫られている
・獲得した「新しい場所」はもう捨てていく
・「大きな物語」(大きな意志)から個々人の意志へ
・個々人をなげうってでもつなぎ、その先を目指す共同体
ということがキーワードとして挙げられる。
まず最初の外的要因とは、ここまで見たところから考えると「ネガティブな今の時代、歴史」だろう。そして先人たちによって掴み取られてきた「新しい場所」はもう歴史として崩れ去っていくものである。そしてその先に行くには個々人をなげうってでも共同体としてつないでいかなくてはならない意志が貫かれていなければならないが、この考え方はモダニズム的であり、目指すべき個々人の意志が発揮されるものではない、という矛盾が生じる。
そこで考えたのは、あえて旧世代的・全体主義的な共同体による意志を用い、その強い意志をもって時代を次のステージに移行させていくことで、新たな地平としての個人意志を獲得しようとしているのではないかということである。旧世代最後の力によって、自分たちを含めたこれまでを壊す。なんとも美しい自己犠牲がうかび上がってはこないだろうか。はい完全に私の趣味です。
どんどん自分のフィールドに引き込んで考えているのは否めないが、制作物は発表した時点で受け手に投げ出されているものだからかまわないよね...。
ともかく、ここまでで私が考えたのは「『will』ではモダニズム的な時代からの脱却とそのための自己肯定/否定、その先に見える個々人の意志が歌われており、まさに人間の意識そのものを革命していこうとするものである」ということです。
ここまで約4000字、その分の労力をレポートなりに使えという代物でした。もしここまで読んでくださった方がいたらありがとうございます。個人的にですが色々な方の歌詞解釈が読みたいです。